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大阪高等裁判所 平成7年(行コ)33号 判決 1997年10月20日

控訴人

田尻博一

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

岩佐英夫

藤田正樹

被控訴人

城陽市長

大西忠

右訴訟代理人弁護士

立野造

上原洋允

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、城南土地開発公社との間で、原判決別紙物件目録一ないし一〇記載の土地を、四億二八七四万六七五四円並びにこれに対する昭和六一年八月二二日付公共用地先行取得等契約に定める利息及び事務費を加算した額を超える価格で取得する契約の締結及び右金額を超える売買代金の支出をしてはならない。

三  控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  申立

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、城南土地開発公社との間で、原判決別紙物件目録一ないし一〇記載の土地を、三億九六四四万七四二五円を超える価格で取得する契約の締結及び右金額を超える売買代金の支出をしてはならない。

3  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

原判決の事実及び理由欄第二(原判決二丁表五行目から同一六丁裏四行目まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。ただし、同四丁表三行目「外に」を「北側を市道一〇五号線が東西に走っているほかは、」と改め、同六丁裏一〇行目「)」の次に「)」を加え、同九丁表六行目「なかったため」を「ないものとして」と改め、同一三丁表四行目「そこで、」の前に「また、前記鑑定においては、本件土地内に本件古墳が存在していることに基づく文化財保護法による規制を宅地見込地の宅地化を阻害している規制として考慮せず、また、右鑑定の直前になされた京申住宅と後記プラザ産業との本件土地の売買契約における代金額が三億五二八〇万円であったことを考慮していないため、その鑑定価格は高過ぎるものである。」をそれぞれ加える。なお、同八丁裏末行から同一六丁表末行までの記載に含まれる「被告」のうち、同一三丁裏八行目のそれを除くすべてを「当時城陽市長であった今道仙次」と改める。

第三  証拠

原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。

第四  当裁判所の判断

一  本件合意の違法(争点1)について

1  争点1の違法事由の判断のあり方について

原判決の事実及び理由欄第三の一の1(同一六丁裏八行目から同二〇丁表末行まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。ただし、同一七丁表八行目及び同裏七行目の各「被告」をいずれも「当時城陽市長であった今道仙次」と改め、同二〇丁表六行目の次に行を改めて次のとおり付加する。

「以上に述べたところから、右交渉のあり方についていえば、相手方の要求が著しく不合理、不当なものである以上、少なくとも、城陽市という地方公共団体の組織内部(担当部署)には周知の事実、その他、一挙手一投足の労により容易に把握することのできる関連事実から、取得する土地を必要なものの範囲に止め、取得価格をできるだけ適正価格に近いものに抑えるために役立つ論駁、説得の有力な交渉材料を見出すことができる場合には、それを用いて交渉すべきであり、それを不可能とする特段の事情もないのに、その労をとることなく、右可能な論駁、説得を試みることもないままに相手方の要求を鵜呑みにしたのに等しい結果を招来したような場合には、それは先に述べた一般的抽象的義務が個々の具体的事情に基づき特定の場面で具体化したものとして求められる義務に違反するものであるというべく、本件合意がそのようにして形成されたものであるとすれば、そこには裁量権の行使に逸脱があったものとして、右合意は違法に形成されたことになるものと解するのが相当である。」

2  事実認定

原判決の事実及び理由欄第三の一の2(同二〇丁裏一行目から同三五丁裏二行目まで)を引用する。ただし、次のとおり付加訂正する。

(一) 原判決二一丁裏一行目「となった。」の前に「及び城陽市寺田大谷二六番七〇の土地」を加え、同二二丁裏四行目全部を削除し、同八行目末尾に「京申住宅は、松本に対し、右各土地を譲渡担保に供し、同年六月二三日及び七月二日付で登記名義を松本名義とした。」を加え、同九行目「東洋物産は、」から同末行末尾までを「京申住宅は、松本に対し、既に取得していた別紙物件目録六記載の土地を譲渡担保に供し、同年七月二六日付で登記名義を松本名義とした。」とそれぞれ改め、同二三丁裏三行目「「京申住宅は、」の次に「同月一五日、」を、同六行目「京申住宅は、」の次に「同月二九日」をそれぞれ加え、同八行目「同日」を「同月二八日」と改める。

(二) 原判決二四丁表五行目「甲二、」の次に「一五ないし一七、」を、同行「三七、」の次に「六二、六三、七四、七五、」を、同六行目「六四」の前に「五九、六〇、」を同裏末行末尾に「なお、松本名の市教委教育長宛の、別紙物件目録七及び八記載の土地にかかる右同期間の埋蔵文化財発掘調査に同意する旨の承諾書(甲二五)が提出されている。」をそれぞれ加え、同二五丁裏二行目「被告」を「当時城陽市長であった今道仙次(以下「当時の市長今道」あるいは単に「今道」という。)」と、同七行目「七月初旬頃から、」から同末行までを次のとおりに、それぞれ改める。

「京申住宅代表者奥田や前記仲介者河崎は、本件古墳が存在することは本件土地周辺の開発行為の障害にはならないものと考え、右開発行為が可能であることを前提としてその準備を進めていた。奥田は、昭和六一年二、三月頃から城陽市の担当者と開発事前協議を行っていたが、開発区域外道路との接続に関しては、同年四月頃の、本件土地並びに別紙物件目録一一、一二記載の土地のほぼ全域を開発する計画を持っていた段階では、開発に必要な道路(後記(三)の(20)の本件技術的基準の本文参照)として、本件土地及び右一一、一二記載の土地の北側を東西に走る幅員二ないし三メートルの市道一〇五号線から、本件土地の別紙物件目録一記載の土地の西端付近から同二記載の土地の南辺へほぼ垂直の方向に南下し、同四記載の土地の中央部から東方へ曲がって同五記載の土地の西辺及び東辺の各中央付近を東に伸び、同八記載の土地内で南方へ曲がって同土地の中央部分を南下し、本件古墳部分を経てその南西辺中央部を抜け、これに接する市道二〇七四号線に通じるS字型の道路を予定していた(それには、市道一〇五号線を幅員六メートルに拡幅する必要がある。)。また、奥田は、当初からの計画ということではなかったけれども、基本構想としては、二通りの予定を持ち、図面も二通り作成していた。すなわち、先に、北側の別紙物件目録一一、一二記載の土地、西側の同二記載の土地、南側の同五、八及び九記載の土地、東側の市道二〇七四号線によって囲まれる区域内の土地を開発した訴外原田ハウジング株式会社(以下「原田ハウジング」という。)は、西側において右二記載の土地の東辺中央部に接し、東端において市道二〇七四号線に接続する東西に走る道路を設置した(城陽市平川仙道七六番二〇、二一、七七番一一ないし一三、七八番一の一部、七八番四、五、七の各土地。原判決別紙図面参照。以下「原田ハウジング設置道路」という。)。奥田は、二つ目の基本構想として、原田ハウジング設置道路を利用して市道二〇七四号線に接続する方法を予定しており、右原田ハウジングからは道路の接続に関する了解を得ていた。京申住宅は、右交渉の過程において原田ハウジングから訴外プラザ産業株式会社(以下「プラザ産業」という。)の紹介を受け、同年七月一八日、プラザ産業に対し、本件土地は開発可能であり、その開発に京申住宅も関与することを前提として、代金三億五二八〇万円で売却する契約を締結した。なお、京申住宅は、右一一、一二記載の土地は、北側の里道と隣接していて開発をしなくとも使用できるため、本件土地とは切り離して処分することとし、同年五、六月頃には、既に訴外上田繁に売却する旨の合意をしていた。」

(三) 原判決二六丁表八行目「この頃から、」から同裏五行目「ために、」までを削除し、同行「同月二五日、」の次に「京申住宅は、前記(9)の合意に基づき、」を、同六行目「売却し」の次に「、同人に登記名義を移転し」をそれぞれ加え、同六、七行目「右土地を、何時でも」を「その際、将来のプラザ産業の本件土地の開発計画如何によっては右北側里道を拡幅して利用する必要がありうることをも考慮して、開発許可が下りたときには、右両土地のうち右拡幅に必要な部分を」と改める。

(四) 原判決二七丁表三行目末尾に「このときはじめて本件土地の開発計画に関する図面を含む、きちんとした書類が提出された。」を加え、同四行目及び同二八丁表一行目の各「被告」をいずれも「当時の市長今道」と、同六行目「同日、」から同八行目「思いついた。」までを次のとおりに、それぞれ改め、同九行目「確約書」の前に「同年八月一日、」を加える。

「京申住宅の奥田や河崎は、同年七月一六日の報道によっても本件古墳の存在により本件土地の開発が不可能になるとは考えていなかったが、同月二九日の新聞報道により地域住民の本件古墳保存の要望の高まりや被控訴人も保存の意向を表明したことを知り、本件土地の開発が事実上困難になったと判断した。そして、奥田は、当時、京申住宅が滞納した税金や岩城厚正からの借金等多額の債務に悩んでいたところから、かくなるうえは本件土地を城陽市に高く買い取らせてより多くの利益を取得し、右債務の弁済等に充てることを企図し、河崎に相談して、プラザ産業との売買契約を解約するとともに、本件土地の登記簿上の所有名義が松本となっていることについての権利関係や、プラザ産業との売買の際に松本と合意した利息の支払時期、額を明らかにするための確約書を作成することとした。」

(五) 原判決二八丁裏一〇行目「被告」を「当時の市長今道」と改め、同末尾に「及び関連する事実」を、同末行「二、」の次に「一六、」を、同「三二、」の次に「三三、」を、同「乙一」の前に「四四、四五、六三、七五、」を、同二九丁表一行目「同村瀬新一、」の次に「同松本實平、当審証人岩井廣」をそれぞれ加え、同一〇行目から同三五丁表四行目までの記載に含まれる「被告」のすべてを「当時の市長今道」と改め、同三〇丁表二行目「京申住宅は、」から同五行目「そこで」までを削除し、同九行目末尾に「右手付金三五〇〇万円は松本が受け取っていたため、同人がこれをプラザ産業に支払い、違約金一〇〇万円は京申住宅が支払った。」を、同裏二行目の次に行を改めて「同日、教育長は京申住宅(奥田)と面談して本件古墳部分のみの買収を提案したが、京申住宅はこれを受け容れず、六億円で開発予定地全部を買収するか開発を認めるか、至急に二者択一の決断をするように、と迫った。なお、これより先、何時、誰にか、は定かでないが、京申住宅は、土地、建物両方の分譲による、開発によって得べかりし利益を根拠として計算したと称する六億五〇〇〇万円という金額を買収価格として提示しており、その金額は、当時の市長今道にも伝わっている。」をそれぞれ加える。

(六) 原判決三二丁表四行目「を理解する」を「や、従前本件土地の開発に関する協議等を京申住宅が行ってきたことからして、京申住宅が本件土地の所有者であると判断する」と改め、同九行目「京申住宅は、」の次に「松本に対する債務を返済するために、」を、同三五丁表末行末尾に「右史跡指定を受けたのは、本件土地(実測面積6552.85平方メートル)のうち、1470.43平方メートルであった。」をそれぞれ加える。

(七) 原判決三五丁表二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「(20) 京都府の都市開発許可に関する技術的基準(甲四四)には、「行止り道路の禁止等」として、「開発区域内の道路は、両端が他の道路(開発区域内の道路及び建築基準法第四二条の規定による道路に限る。以下同じ。)に接続しなければならない。ただし、次の各号のいずれかに該当する場合で、知事が災害の防止及び通行の安全上支障がないと認めるものはこの限りではない。(1)半径六メートル以上の回転広場で、かつ、幅員1.5メートル以上の避難通路が儲けられているもの」という定めがあり、城陽市開発指導要綱技術的指導基準(甲四五)には、「知事」が「関係官署」となっているほかはすべてこれと同文の定めがある(以下「本件技術的基準」という。)。

(21) 城陽市は、昭和五七年一一月に寄付により取得した城陽市寺田大谷八二番地五宅地17.30平方メートルを所有している(以下「八二番五の土地」という。)。右土地は、南北長約二メートルの東西方向に長い矩形をなしており、その西端は別紙物件目録一〇記載の土地の東辺北寄り部分に、その東端は市道二〇七四号線に、それぞれ接しており、その現況は、南北両隣の建物の敷地の間に狭まれた空地であって、本件土地と市道二〇七四号線を接続する通路として利用することが可能な状況にある。

(22) 右(20)及び(21)の事実によれば、本件古墳部分を使用することができなくても、開発区域内の道路に半径六メートル以上の回転広場を設け、かつ、八二番五の土地を利用して避難通路を設けることを前提とする開発計画を立てれば、本件土地のその余の部分を開発することは可能である。

(23) 奥田は、同年四月当時から、本件技術的基準の存在を知っていたし、また、八二番五の土地の存在も知っており、したがって、右(22)のような事情も認識していたものである。

(24) 土地開発案件の事前協議に際して業者との折衝に携わる城陽市都市建設部建築課開発指導係所属の職員は、当然のことながら本件技術的基準を熟知しており、昭和六一年四月から同市都市建設部長の職にあった大野木敏夫(以下「大野木」という。)もこれを承知していた。なお、大野木、昭和六一年四月から同市都市建設部長から同市総務部長に転じた村瀬新一、同時期に前記開発指導係の係長になった岩井廣は、当時八二番五の土地の存在、現況を知っていたか否かはともかく、いずれも、本件技術的基準により、八二番五の土地を利用すれば、具体的な計画の立て方次第で、本件古墳部分を通路として使用しなくても、本件土地のその余の部分の開発は可能であると認識しており、その旨の証言をしている。

(25) 大野木は、都市建設部長になった直後頃から、担当者から、本件土地の開発計画について、それは本件古墳部分から道路をつけて北側斜面を開発するというものであることや、事前の相談に来た奥田に対して、原田ハウジング設置道路とその開発予定地とを接続するのも一つの方法であるという行政指導をしていたことなどの奥田との間の事前協議の内容等についての報告を受け、さらには、開発区域の排水の流末の処理問題についての相談を受けるなどしており、提出された事前協議願いにも目を通していた。

(26) 右(25)の排水の流末の処理問題は、本件土地中、別紙物件目録四、五記載の土地から同一、二記載の土地にかけて南高北低の落差があるが、それらの区域から東北方向、市道一〇五号線の北側東方に存する城陽市平川山道四五番二、四六番五の土地辺りに通じるその排水経路の容量に難点がある、というものであって、本件古墳部分の利用とは無関係に、元々本件土地の開発にあたって克服しなければならない難点とされていたものである。」

3  争点に対する判断

(一) 右認定事実及びこれに掲げた各証拠並びに当審証人岩井により認められる本件に関する事実経過その他の関連事実は、原判決の事実及び理由欄第三の一の3の(一)(同三五丁裏四行目から同三七丁裏末行まで)に記載のとおりである。ただし、右記載部分に含まれる「被告」のすべてを「当時の市長今道」と改めるほか、次のとおり付加訂正する。

(1) 原判決三六丁表五ないし八行目を削除し、同九行目「(5)」を「(4)」と、同裏三行目「(6)」を「(5)」と、同六行目「迫った。」を「迫ったこともあった。」と、同七行目「(7)」を「(6)」とそれぞれ改め、同七行目「前記その余の」から同一〇行目「京申住宅は、」までを次のとおりに改める。

「前記史跡指定を受けた部分を除いたその余の土地部分の実測面積は5082.42平方メートルとなり、本件土地の約77.5パーセントを占める。

(7) 先に2の(三)の(20)ないし(23)で述べたとおり、本件技術的基準により、八二番五の土地を利用すれば、本件古墳部分の使用ができなくても、本件土地のその余の部分を開発することは客観的に可能であり、奥田は、このことを認識していたけれども、そのことを秘して、」

(2) 原判決三七丁表五行目「被告は、」を「これに対し、今道は、京申住宅が本件土地の所有者であるかどうかについては確認したが、京申住宅が主張するように本件古墳部分を除くその余の土地部分のみでは開発行為が不可能であるのか否か、京申住宅が本件土地を取得した際の購入価格等を城陽市職員に調査させることもなく、また、本件土地の開発行為のための事前協議の経過の詳細を報告させることもしないまま、単に、」と改める。

(二) 右に見たとおり、当時の市長今道は、本件古墳を保存するために、これを含む本件土地全部を、予め行った鑑定の価格を約三六パーセント上回る五億四〇〇〇万円で購入する旨の本件合意をしたものであるが、その交渉過程を見ると、そのような合意をした理由は、結局のところ、京申住宅の奥田が、本件土地のうち本件古墳部分を除いたその余の部分だけでは開発行為を行うことはできない、とし、本件土地を開発した場合の得べかりし利益を考えればその価格は六億円を下らない、と主張して、本件土地全部を六億円で買い取ることを要求し、本件古墳部分のみの売却にも、鑑定価格以下での売却にも応じず、本件古墳を事実上破壊するかのような言動を示したため、奥田の要求額を一割減額させることで妥協したということに尽きる。

ところで、本件合意は、歴史的に貴重な文化財である本件古墳を保存する必要性からなされたものであり、そのことは多数の地域住民、団体等が望んでもいたのであるから、右必要性そのものは相当強度のものであったということができる。しかしながら、そのためには、本来右本件古墳部分のみを買収すれば足りるのであり、城陽市には他に右部分以外の土地(本件土地の約77.5パーセントを占める)を具体的に利用する目的もなく、これを取得する必要性もなかったことは、被控訴人も自認しているところである。しかも、本件においては、右不要な土地部分をも含めて事前に得た鑑定価格を大きく上回る価格で買収したというのである。

(三) ところで、先に認定した事実に基づき、既に述べてきたところからすれば、次のように考えられる。すなわち、

(1) 元々、京申住宅(奥田)は、本件土地開発に必要な道路として、一方の出入口には、拡幅した市道一〇五号線からの、あるいは市道二〇七四号線から原田ハウジング設置道路を利用したものの、いずれかを予定し、他方の出入口には本件古墳部分を予定していたものである。その前者の確保は、本来京申住宅が自らなすべきものであり、また、その後者については、予定していた本件古墳部分が使用できなくなったとしても、本件技術的基準により、八二番五の土地を利用すれば、半径六メートル以上の回転広場を設けなければならない負担は加重されるものの、本件土地のその余の部分の開発ができないわけではない。

(2) そして、本件技術的基準の存在は、城陽市の関係部署の職員の熟知しているところであり、また、八二番五の土地の存在は、本件土地付近の地図あるいは地籍図から一見して明らかであって、日頃その種の仕事に手慣れた関係部署の職員が右二つの事実をもとに検討すれば、右(1)のように、本件古墳部分を除いたその余の本件土地部分だけでも開発が可能であるということには、容易に気付く筈であったと考えられる。したがって、今道が、本件土地のうち本件古墳部分を除いたその余の部分だけでは開発を行うことができないという京申住宅(奥田)の主張の合理性、当否について、城陽市の関係部署の職員に、調査、検討させ、その結果に基づいて協議をしさえすれば、右主張に対する有力な反駁の材料を、さしたる時間を要することなく、容易に準備することができた筈である。

(3) 次に、村瀬の依頼によってなされた鑑定(前記2の(三)の(3)、(5)及び(7)の事実)は、プラザ産業の本件土地取得価格を考慮していない(乙三八、当審証人杉生篤亮)が、この事実及びその後の交渉経過からみて、今道ないし城陽市の関係職員は、この価格も正確には把握していなかったものと推認される。

ところで、前記2の、(二)の(13)、(三)の(8)の事実から知り得た事実を縁に、プラザ産業にその間の実情を照会して調査をすれば、京申住宅が本件土地を三億五二八〇万円で一旦プラザ産業に売却していたこと及びその合意の解除に関する経緯が、さらに、前記2の、(二)の(3)、(三)の(3)及び(10)の事実から知り得た確認書、登記簿の記載等を縁に、松本に問いただせば、京申住宅の本件土地等取得価格の合計が約二億七〇〇〇万円であること(前記2の(一)各事実)が、おそらく判明した筈であると思われるが、これらの事実は、本件土地の買収価格の減額を説得する有効な材料となり得た筈である。

(4) また、大野木が承知している筈の本件土地開発における排水の流末の処理に関する難点(前記2の(三)の(26)の事実)も、買収価格の減額に関する有利な交渉材料であるといえる。

(5) さらに、京申住宅は未だ本件土地の開発許可申請には至っていないところ、本件古墳の価値及び住民のその保存要望の大きさから本件古墳部分の開発許可は事実上極めて困難になったものであることは、奥田に対して指摘するに値する事実であると考えられる。

(6) 京申住宅(奥田)が、六億円で開発予定地全部を買収するか開発を認めるかの二者択一を迫る態度を明確にしたのは八月五日であるが、その前後、当時の市長今道は、直接、奥田に対し、七月三〇日に、開発を認めるか買収するかを早急に決める旨述べ、八月の、九日に買収価格四億円を提示し、一一日に四億四〇〇〇万円を提示し、一二日に六億円の一割減額を了承させ、一八日に本件合意を成立させている。しかし、その間、今道は、城陽市の関係職員に対して奥田の主張の当否についての調査検討を指示することもなく、自ら奥田に対して右(1)の点を主張することも、六億円という奥田の要求金額の根拠の詳細を聞いて論駁することも、していない(原審被控訴人今道本人)。また、教育長は奥田に対して本件古墳部分のみの買収を提案しているけれども、城陽市の関係職員が、それ以上に奥田に対して右(1)の点を主張し、六億円の積算の詳細について問いただし論駁を試みた形跡は窺われず、また、京申住宅の本件土地取得価格を正確に把握していた形跡も窺われない。

(7) 右被控訴人自身が行った交渉の経過に鑑みれば、右(1)ないし(5)のうち、(3)の事実は、あるいはその間に簡単に把握することができなかったかとも思われるが、その余の事実は、今道がその気になって城陽市の関係部署の職員に対して指示さえしていれば、容易に、また、時間的にも十分間に合うように、その交渉過程で奥田に対する反駁、説得の材料として活用できるものとして準備することができた筈である。

(8) 被控訴人は、早急に一括買収の決断をしなければ、開発のために本件古墳が破壊される恐れがあった旨主張し、被控訴人今道本人も原審においてこれに沿う供述をしている。しかし、その当時の報道状況、地域住民の本件古墳に対する関心と保存要求の高まり、原審証人村瀬新一の、古墳の破壊についての危惧はもたなかった旨の証言、被控訴人今道本人の、奥田から直接には古墳の破壊をほのめかすような発言を聞いていない、奥田は別に暴力的な態度をとる人ではなかった旨の原審での供述などからすれば、今道が、京申住宅に対し、許可無くして開発行為を行えば処罰されることを告知して説得するならば、京申住宅がそのような行動をとるというような現実的危険性は、当時の市長今道が早急に奥田の不合理、不当な要求を容れて妥協することが必要とされるほどに切迫したものではなかったと考えられる。

(9) もとより、交渉には相手方があることであり、本件古墳部分を除いたその余の本件土地部分だけの開発では、開発規模の縮小からくる利益の減少や諸般の負担、制約の加重による不利益が考えられるから、右の点を交渉材料として論駁、説得してみても、簡単に本件古墳部分のみを鑑定価格以下で買収するという方向での合意を得るという所期の目的を達成することが期待できるわけではない。しかし、右(1)の点に関する反駁、説得は、買収範囲を必要なものに限定し、買収価格を適正価格に近付けるという両面において、その余の材料による論駁、説得はその後者の面において、いずれも相当程度の成果を期待することができる性質のものであると考えられる。

(四)  先に一1(四)で述べたところに、右(三)で述べたところを併せて考えれば、被控訴人のした奥田との交渉のあり方は、本件における具体的な事情に基づいて求められる義務に違反したものであって、そこには裁量権の行使に逸脱があったものというべく、本件合意は違法に形成されたものと認めるのが相当である。そして、京申住宅は鑑定(乙三八)価格を下回る価格で本件土地を取得していたものであることや、城陽市の過去における史跡の取得価格(無償のものを除く)はすべて事前の鑑定価格を下回っていること(弁論の全趣旨)を思えば、当時の市長今道に右義務の違反がなければ、京申住宅(奥田)の要求が今道らの足元を見たかなり強硬なものであり、また、前後の事情からみて本件土地買収のための交渉に必ずしも十分の時間をかけている余裕がなかったことを考慮に入れても、買収対象土地を本件古墳部分に限定すること及びその部分の買収価格を低く抑えることまではともかく、少なくとも、城陽市にとって取得する必要のない、本件古墳部分を除くその余の本件土地部分については、これを鑑定価格程度で買収する程度のことは、十分に可能であったというべきである。なお、本件土地の鑑定(乙三八)価格は、それが専門の不動産鑑定士の鑑定になるものであることや、京申住宅とプラザ産業との売買価格との対比からして、一応適正な価格であると認められる。また、今道が、これらのことをなすべきことに気付いていなかったとすれば、相手方の不合理、不当な要求に対してはその論拠に反駁することが交渉の常道であることを思えば、それは当時の市長今道の重過失によるものであるとして、やはり、その裁量権の行使に逸脱があったものというほかはない。

二  以上の次第で、本件合意は違法であり、これと密接不可分の関係にある本件各行為も違法であるというべきである。

なお、控訴人らのその余の違法事由の主張については当裁判所も失当と考えるが、その理由は原判決の事実及び理由欄第三の一の3の(四)の(1)、(2)、第三の二(同三九丁裏八行目から同四一丁裏五行目までと、同四三丁表一行目から同四五丁表一〇行目まで。ただし、同四五丁表一行目「被告」から「要したため」までを「当時の市長今道は、買収交渉を急ぐのあまり、」と改める。)と同じであるから、これを引用する。

そして、右一の3の(四)で述べたところからすれば、城陽市が公社から本件土地を買収するにあたっての価格は、本件古墳部分については、本件委託契約における価格によることもやむをえないものというべきであるが、本件土地中のその余の部分については、鑑定(乙三八)価格を超える金額でこれを買収することは許されないものというべきである。そうすると、右の許される買収価格は、先の認定事実に基づき左記の算式によって計算すれば、四億二八七四万六七五四円となる。

540,000,000×0.225+396,447,425×0.775=428,746,754

もっとも、右両者間の本件委託契約においては、公社が京申住宅から購入した金額に加え、利息及び公社の事務費を加算することとされているところ、右合意は相当なものであってこれを違法とする理由はないから、前記許される買収価格と本件委託契約に定められた事務費及び右許される買収価格に対する利息を超える金額による売買及び公金の支出を差し止めるのが相当である。

よって、原判決を取り消し、主文の限度で本件請求を認容することとし、民訴法九六条、八九条、九二条ただし書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官古川正孝 裁判官塩川茂 裁判長裁判官富澤達は退官のため署名捺印することができない。裁判官古川正孝)

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